

| ル・マン24時間耐久レースへ最初にロータリーエンジンを持ち込んだのは、プライベーター達であった。しかし大メーカーのワークスチームがしのぎを削る場で、個人チームが相手になれるわけもなく、その戦績は予選落ちやリタイアなど惨惨たるものであった。彼らはマツダに対して支援と技術サポートを依頼する。しかし、当時のマツダはオイルショックによる経営危機の真っ只中にあり、レース活動に資金を回す余裕はなかったのだ。
ロータリーエンジンに誇りを持っていた開発者達には、忸怩たる思いがあった。また、ロータリーに対する汚名を晴らしたいという気持もあった。ル・マン24時間レースは、300キロ近い最高時速を生み出す動力性能と、24時間走り続けることができる信頼性を問われるレースだ。また、燃費の良さでピットイン回数を減らすことができることから、燃費レースの面も持っている。このレースで勝利すれば、ロータリー技術の証明ができる。 …しかし、会社の現状を考えると、表立ってレース参加を口に出すことはできなかった。 |
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だが、ひたむきなエンジニア達の熱意をうけて、81年からマツダはル・マンに乗り出す。1982年に出走したRX-7 254は何とか完走し、総合14位・クラス6位をもたらした。(レース残り1時間というところでエンジンに不調をきたし、一時停車後、レースのゴール時間に合わせての再始動という、綱渡りのレースであった) |
| 翌83年、マツダは初の本格的グループCカーを持ち込む。2台のMAZDA 717Cは総合12位と18位に入り、クラス・ワン・ツーを飾る快挙となった。 | ![]() |
| 84年はアメリカからエントリーのLOLA T616-MAZDA2台、日本エントリーのMAZDA 727Cの4台体制。それぞれ10位と12位、15位と20位を獲得する。 |
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C2クラス最後の挑戦となった85年、727Cのエボリューションモデル737Cを投入したが、予選から振るわず、本戦でも19位と24位という結果に終ってしまった。 |
| 1986年、マツダはついにIMSA GTPクラスへ参戦。3ローターを搭載したMAZDA 757を持って望んだが、結果は2台ともリタイア。 |
| 87年、前年の教訓から、多くの国内耐久レースに参戦し、その信頼性を高めた757を持ち込む。熟成されたマシンは歴代日本車で最高位の総合7位で完走、クラス・チャンピオンに輝いた。 | ![]() |
| 勢いに乗るマツダは、88年に4ローターエンジンを投入。2台エントリーのMAZDA 767は、それぞれ17位と19位についた。ところがサポート役として参戦したはずの前年型757が、なんと総合15位・クラスウィナーとなってしまう皮肉な結果となった。 |
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89年のマツダは、767をベースにエンジンを改良、ボディ軽量化や空力特性の改善などを行なったMAZDA 767Bの3台で戦う。結果は総合7位・9位・12位と全て完走し、安定した実力を示した。 |
| 90年には、オール・カーボンボディのMAZDA 787を2台出走させるが、共にリタイアしてしまう。同時にエントリーした767がクラス優勝したため、前年に続くクラス連覇は守られた。 |
| そして91年、レギュレーション変更にともなって、ロータリーエンジンが参加できる最後の年となった。マツダは持てる力を全て投入し、2台のMAZDA 787Bと、1台の787の3台でラストチャンスに賭けたのだった…。
(次項へ続く) |
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